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作品分析

2025/08/30

尾崎豊「存在」の歌詞を読み解く:ありのままの自分と向き合うこと

はじめに

私たちは生きていく中で、理想の自分を追い求めたり、他者からの評価を意識したりして、無意識に自分を縛ってしまうこともあるでしょう。しかし、尾崎豊の楽曲「存在」は、そうした葛藤を抱えながらも、自分自身をありのままに受け入れ、現実と向き合うことの重要性をやさしく語りかけてくれます。

メロディは明るく軽やかに感じられる一方で、歌詞には深い痛みや葛藤、そしてそれを受け入れる力が描かれており、そのギャップがこの曲の魅力を一層際立たせています。

今回は、尾崎豊の楽曲「存在」の歌詞を読み解きつつ、自分の良い面も悪い面も含めて受け入れることの大切さを一緒に考えていければと思います。

楽曲「存在」とその背景

「存在」は、尾崎豊が1980年代後半から1990年代初頭にかけて制作した楽曲のです。この時期、尾崎は若者の孤独や葛藤、自己探求をテーマにした作品を多く生み出していました。「存在」も例外ではなく、当時の社会状況や若者文化の中で抱えられた不安や迷いが反映されています。

尾崎の歌詞は、日常の痛みや社会との距離感、内面の葛藤を繊細に描きます。その一方で、楽曲のメロディや歌唱は明るく軽快な雰囲気を持っており、言葉の重みと音楽の軽やかさのコントラストが特徴です。

この曲では、単純な自己肯定や理想化された幸福感を押し付けるのではなく、現実の痛みや葛藤とどう向き合うかという問いかけが含まれています。それは、私たち一人ひとりが抱える不安や孤独、自己受容の課題に共鳴するものとして、多くの人の心に響きます。

フレーズ1:「人の心慰められる様な夢求めていても 目の当たりにするだろう 生存競争の中 夢はすり替えられてしまう」

このフレーズでは、人間の無意識の心のありようが描かれています。誰もが「人を癒したい」「痛みのない世界であってほしい」という静かな憧れを心に抱いています。しかし現実に目を向けると、その思いはしばしば裏切られ、痛みや喪失を突きつけられます。たとえば、信じていた人との関係が思いがけず終わってしまったとき、自分なりに誠実に向き合ってきたはずなのに、相手の心が離れてしまったり、状況の変化で距離が生まれてしまったりすることがあります。そのとき私たちは、「なぜこんなことに」と問いながらも、避けようのない現実を突きつけられます。

こうして痛みを受け入れる経験を経ることで、次に他者との境界やバランスについて考える準備が少しずつ整っていきます。

フレーズ2:「何もかもをあるがままに受け止めようとするけれど 君は運命 誰かの人生 背負うこととは違うのさ」

ここでは、他者と自分との境界(バウンダリー)が問われます。私たちはつい、他者の苦しみや課題を背負おうとしてしまうことがあります。しかし、誰の人生も他人が完全に背負えるものではありません。自分の限界を認め、相手との間に適切な距離感を保ちながら向き合うことが、現実的で健全な関わり方です。「あるがままに受け止める」とは、すべてを背負い込むことではなく、相手の存在を尊重しつつ、自分の心も守るバランスを保つ姿勢として読むことができます。

他者を尊重しつつ自分を守るバランスを学ぶと、次は言葉にならない部分への気づきや理解の姿勢へと自然に意識が向かいます。

フレーズ3:「受け止めよう 本当のこと口にする君の目を誰も傷つけぬ 気まぐれのような優しい嘘すらさえも 愛したい」

このフレーズでは、言葉にならない部分にまで推しはかろうとする姿勢の大切さが示唆されています。他者の表情や態度、言葉に現れない微妙な気持ちに意識を向け、理解しようと努めることは、深い人間関係の基盤となります。ここで重要なのは、相手を批判したり評価したりすることではなく、受け止める意図を持って丁寧に観察し、心を寄せる姿勢です。こうした態度は、人間存在の尊さに気づくための大切な経験でもあります。

言葉だけでなく、微細な心の動きを悩みながら想像する経験を経て、現実の喧騒や困難に立ち向かう力の重要性が浮かび上がります。

フレーズ4:「受け止めよう 目眩すらする街の影の中 さぁ もう1度 愛や真心で立ち向かって行かなければ」

街の喧騒や社会の複雑さ、価値観の衝突や孤独――そうした現実に心が揺らぎ、目眩すら覚える瞬間があります。それでも尾崎は「さぁ もう1度」と呼びかけます。この呼びかけは、折れた心や迷いを抱えながらも、現実に向き合い歩み出す力を奮い起こすものとして読むことができます。

ここでいう「愛や真心」は、自己受容を前提に、自分と他者に誠実に向き合う姿勢として考えられます。自分の弱さや痛みを認めたうえで、相手にも尊重と誠実さをもって関わること。それによって、困難や孤独に直面したときにも、もう一度歩き出す力を見いだせるでしょう。理想や憧れだけでは現実の重さに押し潰されかねませんが、痛みを抱えながらも誠実に関わることは、存在の力強さを実感し、再び立ち上がる勇気につながります。

なぜ、こんなにも「愛」という言葉が使われているのか?

「存在」の歌詞には、繰り返し「愛」という言葉が登場します。なぜ尾崎はここまで「愛」を強調したのでしょうか。

歌を聴き進めると、その「愛」は「受けとめてもらいたいという切実な気持ち」を超えたものとして現れてきます。むしろ、この歌の核心には「自分がどう愛していくのか」という主体的なエネルギーが込められているように思うのです。

また、終盤の「さぁ もう一度 愛や真心で立ち向かっていかなければ」というフレーズには、嘆きや依存ではなく、自分の側から愛を生み出そうとする意思が表れています。ここでいう「愛」は、まず自分自身に向けられるものです。弱さや影を否定せず「これも自分だ」と受けとめる心。失敗したときも責めずに「それでも歩みを続けている」と認める態度。こうした心が、他者をも受け入れる力につながります。

つまり「愛」とは自己肯定感に根ざした態度です。不完全でも「私はここに存在している」と認めることから、誰かを大切にできる。愛されるのを待つのではなく、自ら愛することを選ぶ――そこに「存在」というタイトルの真意があるのではないでしょうか。

まとめ

尾崎豊の「存在」は、単なる自己肯定の歌ではなく、痛みや葛藤を伴いながらも自分の存在と向き合うことの重要性を問いかける作品です。理想や憧れだけでは現実の重さに押し潰されてしまいますが、痛みや喪失と真正面から向き合い、自己受容と他者への誠実さをもって関わることによって、私たちは再び歩き出す力を得られます。

Viewsでは「自分を知る」「心身を整える」「コミュニケーションを高める」といったプログラムを通して、利用者の方が自分自身を見つめ直し、受け入れていくサポートをしています。これは「存在を受け入れる」ことに近く、弱さや影の部分も否定するのではなく、「これも自分だ」と認めたうえで社会に向き合う力を育む取り組みです。尾崎豊の「存在」が伝えているメッセージと、私たちの支援理念は通ずるものがあると言えるでしょう。

あなたは、自分の良い面も悪い面も含め、ありのままの自分を受け入れられていますか?
決して簡単なことではありませんが、小さな一歩を踏み出してみてください。
今日の自分をそのまま認めること、それが等身大の「存在」を感じる瞬間になります。

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