「あのとき、間違った選択をしたかもしれない」
そう思ったことがある人は、少なくないはずです。
たとえば仕事で、プライベートで、大事な人との関係のなかで。
「どうして、あんな決断をしてしまったんだろう?」
「あのとき、もっとちゃんと考えていれば…」
そんなふうに、過去の選択を何度も思い返してしまう。
特に、メンタルが不安定なときには、冷静な判断ができなくなって、自分でも「なんでこんな選択を?」と不思議になることがあります。
でも、だからといって、「正しい選択」って、本当にあるんでしょうか?
今回は、そんな“選ぶ”ということの難しさを、映画『恋はデジャ・ブ(Groundhog Day)』を通して考えてみたいと思います。
目次
毎日が同じ…でも気持ちはどんどん変わっていく
この映画の主人公は、皮肉屋で自己中心的なテレビの天気予報士・フィル。
仕事で、アメリカ・ペンシルベニア州の小さな町に行き、毎年2月2日に行われる「グラウンドホッグデー(春の訪れを占う行事)」の取材をすることになります。
ところが翌朝、目が覚めると、なぜかまた同じ2月2日が始まっているのです。
ラジオから流れる同じ曲、同じ朝食、同じ天気、同じ人のセリフ。
つまりフィルは、「同じ日」を何度も何度も、繰り返すタイムループに巻き込まれてしまうのです。
最初はその状況に戸惑いながらも、「明日は来ない」ことを逆手に取り、
欲望のままに振る舞います。
—気になる女性にアプローチするために情報を集めて騙す
—何度失敗しても、やり直しがきくと思って好き放題
—仕事も放棄し、日々の小さなトラブルさえ面白がるように
この頃のフィルの「選択」は、自分の欲望にまかせた“その場しのぎ”。
目の前の快楽、満足、操作する楽しさにだけ目がいっていました。
でも、ふとした瞬間に気づくんです。
「いくらやり直しても、結局、空しさしか残らない」と。
何を選んでも、うまくいかない日々
やがてフィルは、やりたいことをやり尽くしてしまいます。
刺激にも飽きて、好きだった女性・リタとの関係も進展しない。
毎日同じことを繰り返しても、誰の記憶にも残らない。
「何をやっても、意味なんてない」
そう思った彼は、深い絶望に陥ります。
この時期の彼の選択は、「もうどうでもいい」というあきらめや自暴自棄。
—無気力に一日を過ごす
—事故を起こす
—自ら命を絶とうとする…
繰り返すことで、普通の人なら一度しか経験しないはずの“選択の行き止まり”を、フィルは何度も体験します。
でも、それでも「明日が来ない」という状況だけは変わらない。
ここでわたしが感じたのは、メンタルに悩んでいるときの私たちも、これと似ていることがある、ということです。
未来への希望を見失うと、どんな選択肢も「どうせ意味がない」と見えてしまう。
やる気が出ない。人とも関わりたくない。何かを変えたい気持ちはあるのに、どうにもならない。
だから、「もうどうでもいいや」となってしまう…。
これって、決して“弱さ”ではなく、「選べないくらい苦しい状態」なんだと思うんです。
小さな優しさが、選択を変えていく
でも、フィルはある日、少しだけ「他人のために何かをする」ことを始めます。
—道端で転びそうなおばあちゃんを助ける
—同じ時間に落ちる少年をキャッチする
—死にかけているホームレスの男性に食事を渡す
—ピアノを習って、町の人を楽しませる
毎日が繰り返されるからこそ、「昨日できなかったことを、今日はやってみる」という“微調整”ができるようになります。
そうすると、彼の選択が少しずつ変わっていくんです。
「うまくやるため」ではなく、「誰かのためにできることをしたい」と思うようになる。
そして何より、その変化を見ていたリタが、初めてフィルに本当の好意を持ちます。
フィルは“明日が来る”ようになり、タイムループを脱出します。
選択は、頭じゃなく“今の自分”がしている
この映画が教えてくれるのは、選択って「頭で考えてうまくやるもの」じゃない、ということ。
むしろ、「そのときの自分の状態」によって、大きく左右されるものなんです。
- 自暴自棄な時は、自暴自棄な選択をする
- 不安な時は、不安を打ち消すための選択しか見えない
- 優しい気持ちの時は、人に優しい選択ができる
そして、選びながら「ちょっと違ったかも」と思ったら、また選び直せばいい。
それを繰り返していくうちに、フィルのように、少しずつ「自分にとっての納得のいく選択」に近づいていけるんじゃないかと思うんです。
間違えた選択にも、意味があるとしたら?
この映画では、フィルが何百回、何千回も同じ日を繰り返したからこそ、成長していけました。
もちろん、私たちは現実の世界で「やり直し」がきかない一日を生きています。
でも、心の中では何度でも、自分の過去を振り返って選び直すことができる。
- 「あのとき、ああするしかなかった」
- 「本当はもっといい選択があったかもしれないけど、あれが限界だった」
そんなふうに、“そのときの自分”を受け入れてみるだけでも、気持ちが少し変わることがあります。
正しい選択よりも、大切なこと
『恋はデジャ・ブ』は、ファンタジー映画の形をとりながら、実はとても現実的なことを描いているように感じました。
人は完璧じゃないし、いつも正しい選択なんてできない。
でも、同じことを繰り返しながら、少しずつ「ましな選択」に近づいていくことはできる。
そして、その途中にある選択ミスや後悔にも、意味がある。
「正しい選択」をすることより、
「納得できる自分になっていく」ことの方が、ずっと大事なのかもしれません。
今日を生きることに自信がなくなったとき、
どの選択が正しいのか分からなくなったとき、
この映画を思い出してみてください。
同じ日が続くようでも、心の中では、ちゃんと変化している。
そして、あなたの選択も、きっとその一部なのだと思います。
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