はじめに。わたしは長い間自宅に引きこもっていて、人間関係への不安から短期バイトすらも続かない人生を送っていた人間だ。
そんなわたしが心の病気だと分かったのは、新しく通い始めた心療内科でのことだった。病院に行く時も、泣き喚いて母親に訴えることしかできないほど、わたしの心はガタガタだった。その心療内科で出会った先生は女性の方で、とにかくはっきりと言葉を返してくれる。
「久坂部さん、今までどこかで相談されたことは?」
「いえ……なくて……」
「うん、大丈夫。あなたの不調はちゃんと原因があって、それに合った方法があるから、焦らなくていいんですよ」
先生は最初の診察から、わたしの抱えていた心や身体の不調を次々と見抜いて診断を下してくれた。そして、最終的にわたしが社会に出て働きたいという望みを持っていることもちゃんと分かってくれた。
心療内科に通いながら、わたしは色々な手続きを始めた。精神障害者福祉手帳や自立支援制度の利用申請、障害年金の受給希望に必要な書類の作成。
ビューズとの出会いは、障害者年金関連の書類作成を頼んだ事務所へお邪魔した時に訪れた。担当の人が持ってきてくれたパンフレットの中に、ビューズを紹介したパンフレットがあったのだ。色々と、今の自分に合った通所先があるんだなと順番に見ていた中で一際興味を惹かれたのが、そのパンフレットだった。カラフルで暖かい表紙のパンフレットの中身は、ビューズ内の写真とどのような通所先なのかを簡単に説明したものだ。
わたしは母に電話をしてもらい、体験と最初の面談に向かった。初めての日は緊張で心臓が煩くなる瞬間もあった。ビューズへの第一印象は、とても綺麗な場所だと思った。利用している方達はとても活発に見えて、自分もあんな風になれるのだろうかと僅かに期待を膨らませた。
スタッフさんが柔らかく微笑む。
「今日は緊張されてますよね。でも、焦らず、自分のペースでいいですよ」
「……ありがとうございます」
その一言だけでも、少し肩の力が抜けた気がした。
スタッフの方達とは話がしやすく、安心感もあった。不安はまだ残っていたが、印象の良さからわたしは正式にビューズへと通うことを決めた。
いよいよ初めてのプログラム参加の日。緊張感は並ではなく、心配も不安もかなり強くなっていた。身体に力が入ってしまい、上手く話せるかも分からない。少し手汗をかいていたし、心臓の音も煩かった。それでも勇気を振り絞り、わたしは両手の拳を膝上で強く握り締めながら口を開いた。
「は、はじめまして!わたしの名前は久坂部美柑です」
ちょっと声が大きくなってしまっただろうか。不安で向かいの席に座るメンバーさんの顔が見られず、わたしはテーブルの上をじっと見た。すると、向かいの席に座っていたショートヘアの女性が落ち着いた表情で言う。
「はじめまして。わたしは柏木林檎って言います。よろしくお願いします」
その次に、柏木さんの左隣の席に着いていた男性が口を開く。短い黒髪に髭を少しだけ生やしていた。
「はじめまして。おれは瀧裕史って言います。よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げた瀧くんにわたしも頭を下げる。どうやら、声の大きさは気にしなくても良かったらしい。少しだけ安心していると、今回のプログラムを担当する支援員さんが各テーブルに何かを配り始めた。小さな箱のようなものと、クリアファイルに入ったプリントだ。なんだろう、とわたしが眺めていると柏木さんが言った。
「久坂部さんは初めてだから、順番は後の方にしましょうか」
「そうですね。やり方を見てもらった方がいいだろうし」
瀧くんも柏木さんの提案に賛成のようだ。わたしもいきなり順番が回ってくると緊張で何もできなさそうなので、すごく助かる。二人の提案に頷くと、二人はじゃんけんをして順番を決めた。
今日、本題に入る前に行うアイスブレイクはサムくじと呼ばれるものらしい。サムくじは箱の中に入ったくじを引いて、そこに書いてある数字の質問をプリントから読み上げる。プリントは全部で四枚あり、その四枚の中からくじと同じ数字のところに書いてある質問を選んで答えるというものだった。
柏木さんの番が終わり、次は瀧くんの番だ。わたしは最後なので、瀧くんが引いた数字の質問を読み上げる。緊張感は少し落ち着いてきていたので、なんとか噛まずに読むことができた。瀧くんが質問に答えて、次はいよいよわたしの番だ。落ち着いていた緊張感が戻ってきたが、二人の前でなら話せるような気もしてきていた。数字を引いて、質問を聞く。四つの質問の中 からわたしが選んだものは、好きなおにぎりの具は?だった。
「わたしが好きなおにぎりの具は、梅と牛しぐれですね」
「梅は分かるけど、牛しぐれって初めて聞いたかも。美味しそうですね」
「おれは逆に梅が苦手なんで、食べられるの羨ましいです」
良かった、変に思われなかった。自分の答えが受け入れてもらえた事に安堵して、わたしは二人と話を続けた。
「牛しぐれ、美味しいですよね」
「うちの近くのコンビニにはなかなか置いてなくて……」
「えっ、じゃあ見かけたら報告しますよ!」
「ほんと?ありがとうございます!」
そうしているうちに本題に入っていって、わたしも自分なりの答えを出したり、共有したりする事ができた。
こうしてビューズに通い始めたわたしは、少しずつプログラム参加に慣れながらまずは通う事に慣れるよう意識した。今まで、アルバイトをしてみても長く一つのところに通うのは難しかったので上手く行くかは不安だった。でも、ビューズに来ると少しだけ安心できるようにもなってきたので、今回は大丈夫かもしれないと感じ始めてもいた。
そんな時、担当の支援員さんからある提案があった。
「久坂部さん、夏祭りのボランティアに参加してみませんか?」
「夏祭りですか?」
なんでも、ビューズでは季節に応じた様々なイベントがあるらしい。その中の一つが七月に行われる夏祭りだ。ビューズ内でお祭り会場のような事をしたり、皆でゲームをしたりして遊ぶのだという。
ボランティアは夏祭りの当日と、それに向けての二つがある。当日のボランティアはいわゆる企画のお手伝いだ。そして、それに向けてのボランティアは会場の飾り付けに使うものを作ったりする。わたしが勧められたのは後者の方で、参加する事によってメンバーさんとの交流の機会にもなるという話だった。
「それなら出来そうだし、やってみます」
迷いもあったけれど、交流の機会になるなら手伝ってみたい気持ちもあってわたしはやる事にした。不安も緊張もあるが、それ以上に楽しみな気持ちが湧き上がっていたのだ。
その日の午後、自主設計と呼ばれる自習のような時間帯にわたしは早速飾り付けを作った。 折り紙で折った小さな提灯だ。最初は難しかったけれど、分からないでいる事に気付いてくれたメンバーさんが教えてくれた事でコツを掴んだ。
「わ、久坂部さん上手!」
「本当だ、早く折れてますね」
わたしの手際の良さを褒めてくれたメンバーさんに、わたしはお礼を言った。
「ありがとうございます」
嬉しくなったわたしは時間内に出来る限りの提灯を折って、その日を終えた。
そして、夏祭り当日。わたしの作った提灯が飾られているのを見たし、これまで話した事のなかったメンバーさんと話しながら楽しく過ごす事ができた。
「この提灯、久坂部さんが折ったやつだよね?綺麗に並んでるよ」
「ほんとだ!あ、ちょっと曲がってるの私のかも……」
「いやいや、いい味出てますよ」
お菓子を食べながらお喋りしたり、夏祭りらしい企画に参加したりと盛り沢山の一日だった。流石に少し疲れたけれど、自信もついたし、驚きもあっていい一日になった。
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